コラム:黒田総裁「リバーサル・レート」発言の真意=永井靖敏氏

コラム:黒田総裁「リバーサル・レート」発言の真意=永井靖敏氏
本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。写真は筆者提供。
永井靖敏 大和証券 チーフエコノミスト
[東京 24日] - 黒田東彦日銀総裁が13日、スイス・チューリッヒ大学での講演で指摘した「リバーサル・レート」が市場の注目を集めている。黒田総裁は、提唱者である米プリンストン大学のブルネルマイアー教授の論文を引用した上で、「金利を下げ過ぎると、預貸金利ざやの縮小を通じて銀行部門の自己資本制約がタイト化し、金融仲介機能が阻害されるため、かえって金融緩和の効果が反転(リバース)する可能性があるという考え方」と説明している。
昨年9月21日に発表した「総括的な検証」で同様の考え方を示しており、内容としては新味がない。ただ、何らかの意図が、「リバーサル・レート」発言につながった可能性がありそうだ。
<日銀はリバーサル・レートに対応済み>
日銀は昨年、「総括的な検証」を発表したのと同時に、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入した。行き過ぎた長期金利の低下に対応するためで、金融機関収益に、預貸金利ざやの縮小、有価証券投資の収益性の悪化という主なルートで負の影響を与え、これが金融仲介機能に影響を及ぼすことを防ぐ狙いがあった。その意味で、日銀はすでにイールドカーブ・コントロールという形で、「リバーサル・レート」の考え方を取り入れている。
しかし、新たな政策発動後も、物価については、効果を確認できない状況が続いている。経済状況が上向いていることから、日銀は、「物価安定の目標」に向けたモメンタムは維持していると判断しているが、10月末に発表した展望レポートで、成長率見通しを上方修正するなか、物価見通しを下方修正したことからも、「物価安定の目標」までの道のりが想定よりも遠い点を痛感している様子が読み取れる。
現行の政策運営が持続可能なら、道のりの遠さはさほど問題にならない。物価上昇によって実質金利が低下し、自動的に緩和度合いが高まることで、「物価安定の目標」はやがて達成できる制度設計になっているためだ。イールドカーブ・コントロールで、政策目標を量から金利に切り替えたことで、一時市場で指摘された国債買い入れの限界論は払拭されている。
ただし、金融仲介機能という点で、現行の政策運営は持続不能になり得る。この点を「総括的な検証」で示していたが、間接的な表現にとどめていた。具体的には、金利の低下の影響に関する「収益の金融機関体力への影響は累積的」「政策の金融仲介機能への影響は、その継続期間によっても異なり得る」とした記述で、政策運営能力をアピールするため、量の限界に対する懸念を払拭してもなお持続性に問題が残る点を、日銀の執行部が極力曖昧にしていたように、筆者にはみえる。
<次期総裁に問題申し送りか>
こうした経緯を十分認識しているはずの黒田総裁から、「リバーサル・レート」の発言が出た点が、市場のサプライズを誘っている。ブルネルマイアー教授の論文には、「リバーサル・レート」は、時間の経過により徐々に切り上がること、量的緩和を行っている国は銀行の収益が悪化するため高めになることなど、日銀にとって避けたい論点が明記されている。
すなわち、緩和期間が長期化し、「リバーサル・レート」が、現在の金利水準を上回ると、政策効果がなくなるため、日銀は新たな対応が求められる。現行の政策運営で「物価安定の目標」を達成できると主張するなか、少なくとも外部に対して、達成前の政策転換につながる議論は行っていなかった。
もちろん、直ちに政策運営の変更を示唆したわけではないだろう。13日の講演でも、黒田総裁は、金融仲介機能の阻害について、「引き続きこうしたリスクにも注意していきたいと思う」と指摘する一方、「現時点で、金融仲介機能は阻害されていない」と説明し、「物価安定の目標」を目指した政策運営に注力する点を強調した。現時点では、総裁発言は、一部審議委員が唱える追加緩和の必要性に対する思惑を抑える意味合いしかないようだ。
ただし、将来、意味ある発言だったと評価されるかもしれない。来年4月以降も黒田総裁が続投する可能性が有力視されているが、確定事項ではない。黒田総裁が金融仲介機能における政策運営の持続性の問題についてほとんど発言しないまま退任した場合、新総裁が、何らかの形で言及するだけで、政策転換の地ならしと受け止められる恐れがある。総裁発言は、将来発生し得る市場の臆測を未然に防ぐことが目的だった可能性がある。
<山一証券廃業の教訓>
なお、実際には、計測上の問題から、「リバーサル・レート」の水準を特定することは難しい。日銀が、これまでの政策運営を正当化するため、「リバーサル・レート」の有意な(偶然では説明し難い)上昇を認めず、結果として、金融機関に過度な負担を与えてしまう恐れもある。金融機関収益の毀損(きそん)が将来、日本経済に致命的な影響を与えるリスクを念頭に置く必要がありそうだ。
ちょうど20年前の今日、山一証券が自主廃業を決定したと発表した。直接的な原因は「飛ばし」で、前経営陣が楽観的な収益見通しに基づき、隠れ損失を償却できると予想したなか、十分な状況説明を受けずに、野沢正平社長(当時)が引き継いだことが、対応の遅れにつながった。すでに、過去の話になりつつあるが、筆者は当時、解散が決定的になった系列の研究所に勤務しており、振替休日だった24日(月)に、社員全員が会社に呼び出されたことを、鮮明に覚えている。
最終的に山一証券が自主廃業に至ったのは、銀行への公的資金注入を国民に納得させるため、大蔵省(現財務省)が要請したためとの見方が一般的だ。日本は、重大な方針転換を行うためには、何らかのショックが必要といわれている。こうしたなか、現行の金融政策については、一部の金融機関の犠牲を経ずに方針転換する日銀の英知に期待したい。
*永井靖敏氏は、大和証券金融市場調査部のチーフエコノミスト。山一証券経済研究所、日本経済研究センター、大和総研、財務省で経済、市場動向を分析。1986年東京大学教養学部卒。2012年10月より現職。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here
(編集:麻生祐司)
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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