まず最初に、タイトルにダジャレ的な意図は一切ないことを言っておきたい。「髪」と「神」がかぶったのはただの偶然である。また、言うまでもないかもしれないが、この主張に科学的根拠は一切ない

あくまでも、「私はこのように考えてますよ」というだけの話なのだが、「薄毛に直面したときの気持ちのもっていき方」と考えれば誰かの役に立つかも……との動機で執筆した次第である。なにせ、薄毛との戦いは自分自身との戦い。言い換えれば、ストレスとの戦いなのだから。

・薄毛を気にする悪循環

「薄毛にとってストレスは大敵」的なことを聞いたことがある人は多いかと思う。しかしながら、私自身、薄毛に悩む1人として感じていることを言わせてもらえば、進行する薄毛を毎日見ていてストレスを感じるなという方が無理である。

「無理」というのが言いすぎならば、ヒジョーにハードルが高い。鏡を見るたびに、ハゲた自分を確認するのだから。あるはずの毛が消失しているのだから。自分のイメージにない自分の姿がそこにあるのだから。

この現実を何のストレスもなく受け入れられる人って……いるのだろうか? 少なくとも私には無理だったのだが、以下のように考えると納得できたので報告したい。それは、


薄毛=髪の毛が抜けているのではない。髪の毛の一部が「神隠し」にあっているだけ


──と考えることだ。

「何言ってるんだ、こいつ」と思っている人もいるだろうが、聞いてほしい。神隠しとは、あの神隠し。人間が突然消えることから、神様が隠したと言われたりするアレである。

薄毛とは、それが頭部で起こること。髪が抜けているんじゃない神様が一時的にお隠しになっているだけ。見えなくなった私の髪の毛は、数学の虚数みたいなもので、無いようで有るみたいな ややこしい存在と化している。「無い」と思うかもしれないが、実は「有る」のだ。

隠された髪の毛は、神様のご機嫌が直れば解放されて姿を現すことだって珍しくない。よくあるじゃないか。薄毛だったのにフサフサになった人、あれは神隠しから解放された人たちなのだ。

実際のところ解放されるかどうかは分からないが、どっちにしろそこは神様の領域なので、深く考えても仕方がない。神様のご機嫌が直ってくれるように、日頃から良い行いを心がけよう──。

……と考えれば、鏡に写る自分の薄毛姿を見ても、私の場合はそれほどストレスを感じなくなったので、現実を受け入れられずに悩んでいる人は試してみてほしい。


・ストレスの盲点

それにしても、ストレスというと仕事や人間関係から生まれると思われがちだが、自分自身が発生源になっていることも多い。その代表的なのが、考えすぎとか悩みすぎってヤツではなかろうか。

裏を返せば、思考を停止させてくれる発想が身を守る盾になることだってある。その点、神様は思考を一発で止めてくれる超強力なストッパー。ありがたい存在だ。もちろん、神様を使いすぎたら、それはそれでとても危険なのだけど。

執筆:和才雄一郎
Photo:RocketNews24.